羽々矢神社~八幡社(甘酒まつり)~重吉城址~稲荷山古墳
 2020.05.04  
 
 
 
 

・重吉城址

築城年代は定かではないが大永年間(1521-1528)に尾藤源内重吉によって築かれたといわれる。尾藤氏は信濃国守護小笠原家に仕えていたが武田信玄の侵攻によって信濃を離れ織田信長に仕えて重吉城を築いた。尾藤重吉は永禄年間(1558-1570)に織田信長によってこの地を追われ、三河国へ移り奥平信昌に仕えたという。

天正12年(1584)小牧長篠の戦の時徳川・織田方の小牧城の付城にして清州と小牧を結ぶ連絡路確保の役割をになう。同年家康は重吉に陣を布き秀吉と対峙した。

    (一宮市観光協会)石碑より

重吉城址は丹陽中学の南側に位置し県道155戦沿いに大きな看板があるので場所はすぐわかるが、石碑が建っているのは県道から少し西に入ったアパートの裏で石碑は草に覆われている。かつてシンボル的に存在した2本の大きなエノキは切り倒されてしまった。

 

 

・羽々矢神社

創建年代不詳ではあるが、寛文11年(1671)加納城主松平丹波守が奥州移封の際に再建したという。祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)だが大正13年(1924)に改築され、天照大神と事勝国勝長狭神を合祀したと伝えられる。社内に天若彦所持の羽々矢一双があった。

<参照>

http://www.komainu.org/aichi/ichinomiya/Habaya/habaya.html

(神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識)さん

https://ameblo.jp/sasa-rindou/entry-12421732605.html

(鬼丸のブログ)さん

・重吉八幡神社の甘酒祭り

祭の目的は村の豊年感謝(収穫祭)と甘酒を食べることで悪病災難を祓うこと。

近年は10月第4日曜に行われています。

重吉八幡神社は筑前国(福岡県)宮崎八幡宮の別宮とあり御祭神は応神天皇である。宮崎

八幡宮には神功皇后の朝鮮征伐の凱旋時に応神天皇を出産しその際の胞衣(胎盤)を箱に納めて埋めた。その時地元の人が凱旋と安産祝いに甘酒を母子に差し上げ、強飯で将兵を

慰労したという伝承があり、宮崎八幡宮の別宮である重吉八幡宮の甘酒祭りはこの伝承に基づいて行われている。

 

   
   
   
   
甘酒まつりが行われる八幡神社 
   
       
       
       
   完全に草に覆われた重吉城址   昔は大きなエノキがあったのですが 


稲荷山古墳

       
   稲荷山古墳     倍塚(ばいちょう 伊勢塚)